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東北地方太平洋沖地震という言い方はあまりよくないと思う。あまり報道されていないけれど我が家のある茨城も被災してるし、それは関東だから。


・震災でバタバタ落っこちてきたとき、思ったよりたくさん持っていることに気が付いたので、本を処分しようとしている。とりあえず100冊くらいは売ってしまうつもり。

・本を整理していると、骨肉になった事柄と、選ばなかった分岐がたくさん見つかる。…そのどちらも、処分の対象に。

・選ばなかった道の先には、一時境遇が似ていた人たちがいて、その人たちはその人たちなりに歩んでいるらしいことを、ときどき見聞きする。またかれらと交流できればいいと思う。違いを面白がり、互いの持ち物を交換できればいいと思う。


・様々な魅力的な方法があるけれど、自分のやり方を見失わないようにしないといけない。特にリズムとスケール。しばらく以前、自分自身が「どこの」部分から発想していたのか思い出しつつある。


地震を機に変転したこと。悪寒から傷心に。これらは痛む部位が異なる。

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発作的に反射的に書くのは危ないことだと思うので、賢明な知人たちの多くがそれを避けているようです。その様子を密かにつぶさに覗きみているけれど、スカイプの通信が途絶え、誰ともつながらなくなったこの部屋は寒くて怖いから、どこかの誰かに向かって気持ちを推進させなければ気が済まないのです。

floating view はじまりました!

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floating view 郊外からうまれるアート
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2011年2月26日[土]-3月27日[日]
会場:
トーキョーワンダーサイト本郷

アーティスト:
石塚つばさ、笹川治子、遠藤祐輔、川部良太、佐々木友輔、ni_ka、田代未来子、清野仁美、渡邉大輔、藤田直哉

開館期間:
11:00-19:00[最終入場は30分前まで]

休館日:
月曜日(祝日の場合は翌火曜日)

入場料:
無料

http://qspds996.com/floating_view/about/info.html




いよいよはじまりました。私にとってはここ1年間の集大成です。
やれることはやったつもり。

実験的に遊んでみた会場構成に言及してくれる方が多くて、嬉しく思っています。

言うまでもないことだけれどやはり、情報系の住人は情報環境やテクストに親和性が高い。彼らの反応はツイッターなどでつぶさに確認することができますね。

ここからはさらに、美術周辺の、「もの」をどうこうすることを生業にしている人々がどのようにこれらの作品群を観てくれるのかが改めて重要になってきます。

私の作品は、うまく機能すればするほど「見えなくなる」ので、その様態を、有りようを、できるだけ注意深くみてほしいのです。ディティールの問題ではないので、微視的になれば見えるものでもなく。

とかく、重層的に作っています。表層を撫でるだけではなく、できれば奥まで来て欲しい。

その導きをどうするのかが、現時点での私たちの課題です。

生活の話を終わりにしよう

義足をつけて歩いている人を見て、「そうやって歩くのは不便でしょう」などと、声をかけるかどうか。


歩くということがどれほど困難で、痛みをともない、しかもそれを凌駕するほどに喜ばしく、取り替えのきかない行為なのか、

一時の好奇心からは想像もつかないほどの経験を彼は重ねているでしょうに、それでもそうやって尋ねるのかどうか。

スタジオ、オープン!

作家はまず、完成された作品について責任を持ちます。では、それが作られていく状況、制作の現場を公開するということはどのような意義を持ち得るでしょうか。

9月の入居以来、アーカススタジオでは来年2月の展示に向けた作品制作と、その企画展についてのブレインストーミングを行ってきました。オープンスタジオでは、その状況を保持したまま、より多くの人に解放したいと思っています。

作家がそこにいること。

パフォーマンス(演技)ですらなく、できるだけ素のままの状態でここにいたいと考えています。

ARCUSにて滞在制作を行っています

9月末からARCUSにて滞在制作を行っています。不定期更新とは言え、このブログではそのことについて一言も触れていなかったので、少しでも書いておかなければと思い、筆をとりました。

ARCUSは茨城県守谷市にて実施されているアーティスト・イン・レジデンスのタイトルで、ラテン語で「門」を意味する言葉だそうです。国内外のアーティストに毎年一定期間、廃校の一室をスタジオとして提供しています。これは日本におけるアートプロジェクトの先駆けとなる活動で、2010年は開催15周年となる記念すべき年でした。日本国内よりも国外での認知度のほうが高いほどだそうで、レジデント3組の枠に対し、今年はなんと14倍もの応募があったそうです。

私はひょんなことからここに滞在させていただくことになり、昼はバイト、夜は制作という二重生活を送っています。そこでいくつか、気が付いたこと、思うことを箇条書きしてみましょう。


【「まなびの里(旧大井沢小学校)」にいる人々について】
■レジデントアーティストは、高い倍率をくぐり抜けてきたというだけあってか、優秀で親切な方ばかりです。勉強熱心でもあって、私が英単語を覚えるよりもずっと早く日本語を習得しつつあります。とてもフレンドリーなスタジオメイトたちです。
■スタッフの方々も、皆さんこちらが申し訳なくなるくらい親切です。なので、とっても居やすい! 感謝しています。。そして、学校を出て寄る辺なくうろうろしていた私に、新たな居場所を用意してくださった運命の女神にも重ねて感謝しなければなりません。
■「まなびの里」では、私がこれまで出会ったことのないタイプの人と出会う機会が多くあります。興味深いのは、昨年あたりから私は「都市」「地域」「風景」などなど、ある方向性を持ったキーワードを聞かない日がないということ。地域系アートプロジェクトの老舗として故無きことではありませんが、ARCUSでも、上記の言葉たちと関連ある人々と出会う確率が非常に高いのです。


【アルバイトと制作の両立について】
■他のレジデントアーティストはフルタイムで制作できるのに対し、私は彼らのおよそ2/7の活動時間しかありません。彼らも祖国ではそうなのかもしれないし、レジデントではない私と状況が異なるのは仕方のないことだけれど、いかんせん周囲を見渡したとき、時間のなさにやるせなくなってしまうことがあります。やろうと思ったことの半分もできない――というのが現状です。昨年までの学生生活とは異なった制作ペースを掴むことが必要なのでしょう。来年になったら改めて生活のデザインをするつもりです。とはいえ、私のような若手美術家にとって発表の機会と言えばコンペディションがほとんどなので、半年前の予定がその通りになることなんてあまりありませんが。
■ARCUSディレクターの小田井さんは、そういう制作リズムを作る場としてARCUSを利用して欲しい、と言って下さいました。とても懐の深いプロジェクトで、感謝しきりです。日本各地で大小さまざまなアートプロジェクトが展開されるなか、このようにしっかりとした基盤を持つプロジェクトが存続していくことは本当に重要だと思います。


私はこんなことを考えながら、今日もスタジオで粘土をこねています。それにしても、なんで日本は「芸術の秋」と言うのでしょう! 各種アート系イベントがこの季節に集中するのは、非合理な気がしてなりません。あっちこっち出かけたくても、自分の持ち場がある。アート関係者が動けなくなっているではありませんか。

描いていた、が故に、書き留められなかった時間――日比野克彦個展「ひとはなぜ絵を描くのか」

 3331アーツ千代田での個展。近年はワークショップやプロジェクトを中心とした活動で知られる日比野克彦が世界中を回って描き溜めたドローイングと、80年代初期、デビュー当時のコラージュを俯瞰する、絵画に特化した展示である。私の抱いている彼の印象とはいささか異なった作品があったので、それを記しておきたい。


 大きな砂漠の絵、特殊な紙を用い水中で描いたもの、恐らくは移動中に描かれたであろうスケッチブックの小品の数々。会場の壁面中に貼られた無数のドローイングには、作品一点ごとではなく、それらが描かれた場所(国)ごとのまとまりに対しひとつの地図付きのキャプションが付けられている。その多くは風景画であり、日比野らしい伸びやかで繊細な色使いと、ざっくりとほぐれた線が魅力となっている。

 メイン会場となる一室は、それら場所ごとにまとめられたドローイングで埋め尽くされていた。また、二部屋ある個室のうちひとつは、80年代の段ボールを用いた代表作にあてられ、もう一部屋は2010年3月、フランスで描かれた作品群にあてがわれていた。

 この部屋では他の会場とは異なった展示方法がとられていて、額装されたドローイングと共にテクストが、実作品それ以上多くの面積でもって、判読可能すれすれな淡い灰色の文字で壁に添えられている。これらの絵を描いているまさにその時間について書かれた文章である。


68時間誰にも何も干渉されることなく、誰からも何も言われることなく、いつ何をするのも自由。私は絵を描く以外のことを考えられなかった。

41号室から出かける気力がなかったから、部屋にいる理由を強制的に自分に課した。「絵を描くために私は部屋にいる」という指令を自分に言い聞かせていた。「絵を描かなくてはいけないから部屋にいなくてはいけない。どこにも行けないのです。」とまじないをかけていた。まじないの方法とは、白い紙を目の前に出すことである。


 他作品と異なるのは展示方法ばかりではなく、「指令」によってあらかじめ描くことを課せられた日比野の状況にあった。カメルーンに向かう道すがら、トラブルでパリに滞在することを余儀なくされた日比野は、5日間、独りホテルに閉じこもって絵を描き続けた。「指令」によってモチーフもホテルの室内に限定されている。

 勢いではなく一呼吸置いて選ばれた色でもって、練り上げられたような重たい曲線がかたちの表面を堅牢に象る。カーテンさえもプラスティックやガラス工芸のようにぬるりとした高密度な質感で佇み、その上にテキスタイルや布目がひとつひとつ数え上げるようにして丁寧に載せられている。

 私は苦しくなった。ここには隙が無く、また抜けがない。あるとすれば、それは画面を構成するテクニックとして過去の記憶から半ば自動的に引き出されたそれであり、日比野が格闘しているそれである。苛立ち。修行僧と称するのにはあまりにも寄る辺なく、当て所なくふらつきよろめきながら、己に課した「指令」に対し当惑し、困惑しつつ、クレヨンとパステルをふるう。描くこと、つまり画面上にモチーフを置換する作業に関してはその度毎に的確な判断がなされているにも関わらず、先にあるはずの出口から差し込む光がまるで見えないものだから、全体としてその歩みは闇雲にならざるを得ない。自由? とんでもない。部屋に迷い込んだ蜂という思いがけない小さな来訪者がもたらした微かな羽ばたきを除いては、あるいは新しい白い紙が机上に引き出され「まじない」に変わるまでの、その一瞬の動作を除いては――ここに通う風はない。

 手記はそんな「個人的なひとりぼっちの不安な時間」を見事につかまえていた。取り立てた理由もなく粟立つ心の襞にまなじりを決して追い続けた記録なのである。


このテキストを書き始めた理由は、絵を描いている時の心情を書きとめようという好奇心であり、いつかは確実に忘れてしまうが故のメモリーのバックアップである。


 描くことに手向けられた文章は数あれど、「描いている瞬間」、この時間をとらえたテクストが他にあっただろうか? 少なくとも私は知らない。これは「描いている」が故に、「書き留められる」ことのなかった時間なのだ。

 特殊な状況は描く瞬間について書かせるということをした。それは特別な出来事だけれど、しかしそこに書き留められた逡巡は特殊ななものではなかったように思う。事実、私は一人の描き手として、日比野を通じて自分自身の息の詰まる思いを追体験したのだった。


 描くことの喜びはどこにあるのだろう? 描くことがその楽しみのためだけに向けられたものではないということは承知しているにしても、どうしてこんな辛い思いをしてまで描かなければならないのか。タイトルにもなっている「ひとはなぜ絵を描くのか」、個展の謎を紐解く鍵がこの部屋にあるのは間違いないだろう。事実、パリの連作を観てからは、他の絵に対する眼差しも変化を被る。

 ものが描かれる瞬間に自らも立ち会いたいという人がいたら、ぜひ行ってみるといいと思う。12月13日まで。http://hibino.3331.jp/