描いていた、が故に、書き留められなかった時間――日比野克彦個展「ひとはなぜ絵を描くのか」

 3331アーツ千代田での個展。近年はワークショップやプロジェクトを中心とした活動で知られる日比野克彦が世界中を回って描き溜めたドローイングと、80年代初期、デビュー当時のコラージュを俯瞰する、絵画に特化した展示である。私の抱いている彼の印象とはいささか異なった作品があったので、それを記しておきたい。


 大きな砂漠の絵、特殊な紙を用い水中で描いたもの、恐らくは移動中に描かれたであろうスケッチブックの小品の数々。会場の壁面中に貼られた無数のドローイングには、作品一点ごとではなく、それらが描かれた場所(国)ごとのまとまりに対しひとつの地図付きのキャプションが付けられている。その多くは風景画であり、日比野らしい伸びやかで繊細な色使いと、ざっくりとほぐれた線が魅力となっている。

 メイン会場となる一室は、それら場所ごとにまとめられたドローイングで埋め尽くされていた。また、二部屋ある個室のうちひとつは、80年代の段ボールを用いた代表作にあてられ、もう一部屋は2010年3月、フランスで描かれた作品群にあてがわれていた。

 この部屋では他の会場とは異なった展示方法がとられていて、額装されたドローイングと共にテクストが、実作品それ以上多くの面積でもって、判読可能すれすれな淡い灰色の文字で壁に添えられている。これらの絵を描いているまさにその時間について書かれた文章である。


68時間誰にも何も干渉されることなく、誰からも何も言われることなく、いつ何をするのも自由。私は絵を描く以外のことを考えられなかった。

41号室から出かける気力がなかったから、部屋にいる理由を強制的に自分に課した。「絵を描くために私は部屋にいる」という指令を自分に言い聞かせていた。「絵を描かなくてはいけないから部屋にいなくてはいけない。どこにも行けないのです。」とまじないをかけていた。まじないの方法とは、白い紙を目の前に出すことである。


 他作品と異なるのは展示方法ばかりではなく、「指令」によってあらかじめ描くことを課せられた日比野の状況にあった。カメルーンに向かう道すがら、トラブルでパリに滞在することを余儀なくされた日比野は、5日間、独りホテルに閉じこもって絵を描き続けた。「指令」によってモチーフもホテルの室内に限定されている。

 勢いではなく一呼吸置いて選ばれた色でもって、練り上げられたような重たい曲線がかたちの表面を堅牢に象る。カーテンさえもプラスティックやガラス工芸のようにぬるりとした高密度な質感で佇み、その上にテキスタイルや布目がひとつひとつ数え上げるようにして丁寧に載せられている。

 私は苦しくなった。ここには隙が無く、また抜けがない。あるとすれば、それは画面を構成するテクニックとして過去の記憶から半ば自動的に引き出されたそれであり、日比野が格闘しているそれである。苛立ち。修行僧と称するのにはあまりにも寄る辺なく、当て所なくふらつきよろめきながら、己に課した「指令」に対し当惑し、困惑しつつ、クレヨンとパステルをふるう。描くこと、つまり画面上にモチーフを置換する作業に関してはその度毎に的確な判断がなされているにも関わらず、先にあるはずの出口から差し込む光がまるで見えないものだから、全体としてその歩みは闇雲にならざるを得ない。自由? とんでもない。部屋に迷い込んだ蜂という思いがけない小さな来訪者がもたらした微かな羽ばたきを除いては、あるいは新しい白い紙が机上に引き出され「まじない」に変わるまでの、その一瞬の動作を除いては――ここに通う風はない。

 手記はそんな「個人的なひとりぼっちの不安な時間」を見事につかまえていた。取り立てた理由もなく粟立つ心の襞にまなじりを決して追い続けた記録なのである。


このテキストを書き始めた理由は、絵を描いている時の心情を書きとめようという好奇心であり、いつかは確実に忘れてしまうが故のメモリーのバックアップである。


 描くことに手向けられた文章は数あれど、「描いている瞬間」、この時間をとらえたテクストが他にあっただろうか? 少なくとも私は知らない。これは「描いている」が故に、「書き留められる」ことのなかった時間なのだ。

 特殊な状況は描く瞬間について書かせるということをした。それは特別な出来事だけれど、しかしそこに書き留められた逡巡は特殊ななものではなかったように思う。事実、私は一人の描き手として、日比野を通じて自分自身の息の詰まる思いを追体験したのだった。


 描くことの喜びはどこにあるのだろう? 描くことがその楽しみのためだけに向けられたものではないということは承知しているにしても、どうしてこんな辛い思いをしてまで描かなければならないのか。タイトルにもなっている「ひとはなぜ絵を描くのか」、個展の謎を紐解く鍵がこの部屋にあるのは間違いないだろう。事実、パリの連作を観てからは、他の絵に対する眼差しも変化を被る。

 ものが描かれる瞬間に自らも立ち会いたいという人がいたら、ぜひ行ってみるといいと思う。12月13日まで。http://hibino.3331.jp/