メモ
美術家が作品を通して「誰か」に呼びかけているということがはっきりしている場合に、その「誰か」が背景に蠢くモブのようないい加減さで抽象化された人間だったりすると無性に腹が立ってきます。そういうのは記録写真とか作家の態度をみればわかることだけ…
「アート」について持論を持っている人がこんなにたくさんいるってことに驚いています。昨今の状況を受けて、現代美術はその定義自体が作品たりうる、ということに想いを馳せる人が少しでも増えたのではないかと想像します。(想像したいと思います。)
藝の原字は「埶」で「木」+「土」+「丸」の会意文字で両手を添える様を示し、植物に手を添え土に植えることをもとは意味した。のち、さらに「艸」を添え、「蓺」として、植物であることが強調された。「芸」は「云(ウン)」を音符とし、「たがやす」に意…
1. 移動距離と学びの量は必ずしも比例するわけじゃない。 まして移動距離の長さが作品の質を良くするというわけでもない。 移動の疲労と題材の凄まじさを作品の力だなどと、決して勘違いしないように! そんなことを考えながら、少し遠くまで行って来た。 2.…
ふと気になって「とらのバター」で検索してみました。 ご存じ、「ちびくろ・さんぼ」のお話です。 驚いたのは、みんな、 ★とらはバターになるということ ★そしてパンケーキにされておいしく食べられてしまうということ を知らないということなんです! きょ…
用があって鎌倉に立ち寄りました。こちらはもう桜が満開に近いほど咲いていることに驚き、それ以上に、震災の爪痕など全然残っていない(かのようにみえる)街の景色に一瞬、この3月に起きた災害の全てを忘れそうになっている自分に驚きました。冷めやらぬ…
・東北地方太平洋沖地震という言い方はあまりよくないと思う。あまり報道されていないけれど我が家のある茨城も被災してるし、それは関東だから。 ・震災でバタバタ落っこちてきたとき、思ったよりたくさん持っていることに気が付いたので、本を処分しようと…
義足をつけて歩いている人を見て、「そうやって歩くのは不便でしょう」などと、声をかけるかどうか。 歩くということがどれほど困難で、痛みをともない、しかもそれを凌駕するほどに喜ばしく、取り替えのきかない行為なのか、一時の好奇心からは想像もつかな…
私の活動のコア。直感で通じた部分以外は見えていないだろう。 一瞬のひらめき、人がその直感を働かせた瞬間を私は信用しているし、そういうことができる人だけを信頼してる。 私の作品をたくさん見知っている人ほど、こちらの真意は伝わっていないのかもし…
悩み事を抱えながら適当にググっていたら、社会システム論とドラッカーにたどり着いてしまった。まともに調べようともしていないけれど。はっきりとした輪郭のないムニャムニャした問題を、無理矢理型に押し込んでトコロテンのように絞り出すと、定型に細か…
アーティスト、って、憧れたらお仕舞い、な職業だなぁ、と思う。対象が何であれ、「憧れ」であり続ける限り、そこには辿り着けないし、追い越すこともできない。何にも「憧れ」ないように、注意しなければならない。
私は未だかつてプロのデザイナーだったことは一度だってないし、そうなるための特別な訓練だって受けたことはありません。そんな自分にももしデザインを語る資格があるとするならば、それはここ数年の作品の制作プロセスや作品成立の方法論において、その多…
簡単に暴き出されてしまう、欲望のかたち。露出している、欲望の指向性。そこにあるのは、己の欲望に気付かない愚かさと、隠しおおせたつもりでいる浅ましさと、ある人には容易に読み込めてしまう残酷さと、オートマティックに読み込みを開始してしまう煩わ…
多分に私自身への戒めを込めて、軽々しい態度や歴史をないがしろにする不勉強さは恥ずべきものであると思う、それは大前提だけれど、未だ言葉にされ得ない知への配慮も同時に忘れてはならないものだろう――これもやはり自戒の念を込めて。特に、それがあらわ…
自己紹介をする必要に迫られることがあります。制作においてメディアも素材も特定していない私は、作品説明に困窮します…。とりあえず最近は、以下の通り書くことにしています。 『おもに時間軸を持った「もの」、「もの」から起こる「こと」を作っています…
最近手掛けている一連のコラージュ制作における留意点。 (1)素材のおもしろさに依存しないこと。コラージュの問題点は、素材を切って適当に並べた時点で、既に面白いイメージになってしまうことだ。しかしそれはただコラージュという手法、およびその素材…
ひとつ角を曲がれば、さっきまで会っていた相手の姿は見えなくなってしまう。「リアル」のそんなところがいとおしいと思います。そんな当たり前のことに気付かせてくれるのがあたらしい技術です。
見る度に複雑な気持ちになるもの:・ある手先の器用さを再生可能にしておくために付与されたインデックスとしての作家名、 ・ある現象の部分として取り出すために付与された作家名。
ブランショがエクリチュールについて書いている、「他者によってたしかに受け取られるということを保証しえないような「純粋な」喪失としての贈与」、美術作品もまさにそれで、私たちは誰に届くとも受領されるとも知れないものを必死につくっている。誤解を…