制作と作品、その読解についてのメモ: 卒業|修了2010開催時の日記より

ブランショエクリチュールについて書いている、「他者によってたしかに受け取られるということを保証しえないような「純粋な」喪失としての贈与」、美術作品もまさにそれで、私たちは誰に届くとも受領されるとも知れないものを必死につくっている。誤解を恐れずに言えば、作品とは共有可能なかたちに訳されたたましいであって、その制作および読解にはそれなりの技術を要する。

私は知らず知らずの内に誰かとつながったのかもしれず、しかもそれは思いも寄らない方法で為し遂げられたのかもしれなかった。それを正確に確かめるすべはなく、わずかに残された可能性として感想ということばを聞きとるくらいだ。徒労。途方もない徒労。