523

1.
移動距離と学びの量は必ずしも比例するわけじゃない。
まして移動距離の長さが作品の質を良くするというわけでもない。
移動の疲労と題材の凄まじさを作品の力だなどと、決して勘違いしないように!
そんなことを考えながら、少し遠くまで行って来た。




2.
自分の作風を控えめだと言われることがある。
逆に不思議に思うのは、世に溢れる美術作品があまりにも刺激的なイメージに偏っていることだ。
衝撃的な図像は人目を引くけれど、それに蹂躙されている繊細な事柄だって少なくないでしょう?
刺激に頼ってはいないか、広告物の影響を受けすぎてはいないか。
曰くどんな広告でも、人間を軽蔑しているようなところがあるらしいから。




3.
放射能は見えない。音もしないし、においもわからない。
だから処置については各々の判断に任せるしかないんだけれど、知覚の穴と理性の限界は思ったよりも近かった。
老人の自分には関係ないことだと、マスクをしないおじさん。誰もいなくなった故郷を巡回する日々に打ちひしがれた彼を責め立てる気にはならない。だけれど、そうすることがほんとうに問題のないことだと思っているんだろうか? ゆくゆく彼の灰が放射能を散らすことだってあるでしょうに。
2011年5月下旬現在。マスクを付けながらこれまでの生活を続けるのは無理だと、おそらくは断言できる。




4.
子供騙しで人は救われない。
仮に救われる人がいたとしても、取りこぼされるたくさんの人たちがいる。
それでよしとなっている様々なシーンを、なんとかしなきゃならない。
アートしかり。でもそれだけじゃない。
医療、介護、生き続けることの困難。




5.
ひとではない力に身の回りのものをかき混ぜられたとき、ひとはそのものたちをどのように分けたか。
■人。
■土砂、コンクリートアスファルト
■木、金属、ゴム、プラスティック。
■毒物。
■写真、人形、思い出の品。