「もの」「こと」の選択

よく練られた作品が面白い。
「もの」を作る作品と「こと」を扱う作品、どちらが好みかと問われたら、こう答えるほかにない気がしました。


「こと」を扱う美術、例えばプロジェクト系などの作品も、昨今は主流派のひとつになりつつあるとはいえ、制作点数および知名度は依然として「もの」の作品とは比べものになりません。

「こと」の実現には、必ずしも理解があるとは言い難い周囲への働きかけが必要なことも少なくありませんし、そういった説明責任を負っているぶん、自分たちのしていることに客観的視点を持たざるを得ないのでしょう。制作行為そのものにラディカルな問題意識を持っている割合が、「もの」の制作者たちよりも俄然高いのは事実です。


しかしながら当前、「もの」を作る作家たち全てが制作の行為性に着眼できないほどナイーヴというわけではありません。ほんの一握りの作家たちは、熟慮の末、「もの」の制作を選択しています。その控えめさ・ないし頑固さが、私は好きだったりします。

あらゆる可能性を吟味し、一巡していること。

作家のスタンスの善し悪しを決めるのは結局、どちらを選択したかではなく、どう選択したかにかかっているのだと思います。