アートとデザイン(私の作品にとっての)

私は未だかつてプロのデザイナーだったことは一度だってないし、そうなるための特別な訓練だって受けたことはありません。

そんな自分にももしデザインを語る資格があるとするならば、それはここ数年の作品の制作プロセスや作品成立の方法論において、その多くを(プロダクト)デザインのそれに依拠していたという事実、その経験に基づくものであると言えます。

ここで恥を忍びつつ身勝手な覚え書きをしてしまうと、デザインとはそのもの(制作過程にあるデザイン、その狙いとなる対象物…)が何であるかという問いに対して、クレバーな「線引き」によって応える行為なのだと思います。

対してアートは、その問いも応えも、曖昧であったり、行き過ぎてその線が道から逸れてしまったり、それとわからぬほどに弱々しい線をたどっていくようなことさえも許される分野なのでしょう――これは私がそうあって欲しいと願っている、アートのあり方でもあります。古くは王侯貴族や教会のようなクライアントがいたのでしょうが、現在は問い(主題やモチーフ)の設定や線引き(完成)の期限・基準を芸術家自ら設定する必要があることも少なくありません。そこに要求される視野の広さや知性、鋭い感受性を想うと身震いがします! 途方もない拡がりを持つが故に制作はおそろしく難しいのです。

また、現在みることのできるデザインの多くは商品の売り上げに関連しています。私がデザインの手法を取り入れつつアートの分野で行おうとしたことのひとつは、商品の販売促進というデザインの使命をすり替え、欲望の刺激を利用して商品、ひいてはものそのものの自己解体に結びつけるということでした。デザインの手法を踏襲し、その振る舞いを真似ることでデザイン本来の合目的性を脱臼させてしまう、デザインに擬態するアート。



〈追記〉
こう書くとなんだか必要以上にポップアートとか資本主義批判とかに見えますね。本当はアーキテクチャという言葉を使いたかったのですが、およそ一年前と比べてもその使われ方のニュアンスにずいぶんな変化がみられる言葉なので、今回は遠慮しています。ただ、アーキテクチャやその自覚的解体を視野に入れた制作をしていたのはマジです。超難しかった。。