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用があって鎌倉に立ち寄りました。

こちらはもう桜が満開に近いほど咲いていることに驚き、それ以上に、震災の爪痕など全然残っていない(かのようにみえる)街の景色に一瞬、この3月に起きた災害の全てを忘れそうになっている自分に驚きました。冷めやらぬ非常時はただのうららかな春の日になりそうになりました。


混乱の時流に乗っているようで厭だけれど、原発事故は私にとって紛れもなく大きな出来事です。これまでたくさんの「触れる」作品を作ってきたけれど、この一件でその多くは再現できなくなったと考えています。それは端的に場所のコンテクストが変わってしまったせいですが、恐らくもう二度と前と同じ気持ちで同じ技法を使えないのではないかと思ってしまうのです。

だって、これまで当たり前のように、子供が親を慕うような信頼感で身を任せてきた空気や水、植物や土といったあらゆるものに対して、危険だから「触れるな」という禁止がかけられているのですから。


見た目には何ら異変なく、春なのに。


春と言えばよく祖母とセリをつんでお味噌汁に入れたり、ヨモギをつんで草餅を作ったりしていました。それができないんですね。なぜできないんでしょうか。

よくよくみてみると、その禁止をかけているのは紛れもない自分自身なのだということに気付かされるのです。


景色が、環境が、それと意識せずに信じているものが、一瞬にして、ぐるりと反転する。そういう作品を作りたいと思います。