ある夜から

多分に私自身への戒めを込めて、軽々しい態度や歴史をないがしろにする不勉強さは恥ずべきものであると思う、それは大前提だけれど、未だ言葉にされ得ない知への配慮も同時に忘れてはならないものだろう――これもやはり自戒の念を込めて。特に、それがあらわされる方法について考慮すること。


ある方法に秀でた者が必ずしも別の方法でそれを発揮できるとは限らないし、すでにある方法であらわされた物事を別の方法に置き換えることには困難が付きまとう(例えばスポーツ選手のお喋り、古語を現代語に置き換えること)。


もちろん理想的には、教養があり、セルフマネジメントが上手で、魅力的な作品をコンスタントに作り続ける、そんな自立した作家がベストなのだろうけれど、作品の内容以前に「いかにして生き残るか」、そんな手前のこすっからい処世術と身の上話とにあけくれる場所にあっては、そこに反発したくもなるものだ。