デザインとコラージュについての補足

フライヤーデザインのお仕事を2件、いただきました。アドビソフトをひとつも持っていなかったという理由で、これまではそういったデザインを人任せにしてきましたがこの3月にやっと(!)購入したので、遅ればせながら初めて印刷会社に入稿する本格的なチラシ作りをすることになりました。

両者とも宣伝内容上、表面のメインイメージをいくつかの画像を組み合わせて作ることにしました。デスクトップ上でのコラージュですね。前回「リアルでの」「作品としての」コラージュにおいて、自ら課したルールについていくつか書き出しましたが、「宣伝」「デザイン」はまた全く異なります。

一番違うのは、もちろん[素材の持つ文脈によってあらかじめ被ったテイストから切り離す]という点です。グラフィックデザインが文脈を切り離してしまってはお話にならないので、むしろ[文脈を読み解く鍵となるテイストを付加する]ために、そこにある素材や宣伝内容によってコラージュ(画像加工)の方法を変えています。あるときはものに沿って切り抜き、歪ませ、またあるときは写真の四角形を残したまま透過するように重ねていく。

こうしてテイストを調整していると、普段私たちが図像に対していかに記号的な理解をしているのか…なんてことに思い至ります。ちょっとした操作(色味の変更、ノイズの付加、画面の傾き…)ひとつで、私たちの解釈はまるっきり変わってしまうのですから。

ただ自分が気持ちの良いだけの形にしてしまってはならないので、ブレーキをかけ、方向転換するのに言葉を用います。慣れ親しんだ油絵の具に比べて、アクリル絵の具は理性的な画材だと感じていましたが、やっぱりデザインも理性的な判断を要求されるのだなー、などと当たり前のことを実感していました。