『eatrip』

『eatrip』という映画の試写会に行ってきました。タイトル通り、食に関する映画です。フライヤーには「人と食を巡る、映画のかたちをした、ごはん。」というキャッチコピーが添えられていますが、この映画を称して「人と食を巡る」とするのは、やや大上段に構えすぎた向きがあると思っています。

映画の全編を通して描かれるのは、〈理想的〉で、恵まれた、幸せな食事のあり方です。新鮮な旬の食材に、手間暇かけた調理。これでおいしくないわけがない!というくらいキラキラした食べ物とそれを取り巻く人々が、画面いっぱいに映し出されます。ああ、おいしそうだなあ、楽しそうだなあ、のんびりしてて羨ましいなあ、という感じ。

フライヤーには「複雑な時代をシンプルに生きる」、あるいは「毎日を生き生きと生きる」人々とありますが、出演者がロハス型の生活を指向するお洒落で趣味の良いセレブリティに偏りがちだったのがどうにも気になるところです。あくまでもスタイリッシュな彼らを見ていると、有閑層でないと楽しくご飯を食べることすら許されないのかしら、なんていうちょっといじけた気分になってしまいます。
スローフードを賛美したいという気持ちはわかりますが、もちろん全ての人がこういった恵まれた食にありつけるわけではありません。残念ながらどんな遣り繰りをしたって、60億超の人々が自給自足でやっていけるだけの面積がこの星にあるわけではないのです。

だからといって必ずしも映画の題材としておあつらえ向きな、貧困や病いや孤独の悲劇を描けばそれで良いと言っているわけではありませんよ。監督の言うように、ありがちな悲惨さを描きたくは無かったにしても、問題なのは、主題の理想型があらかじめ設定された上で撮影されたドキュメンタリーであるというところだと思うのです。恐らく監督自身、映画を撮り始める前のそれと、撮り終えてからのそれはあまり変化してないのではないでしょうか。この映画を見ていると、スローな生活へのノスタルジーやお洒落で素敵な暮らしへの憧れが喚起されると同時に、これこそが〈本来の〉〈正しい〉食のあり方なのだよ、と、それがまるで“健康神話”のように抗いがたい正論として突きつけられている気がしてくるのです。

ユートピアを思い描くのも良いけれど、無数の島宇宙が乱立する現実の中にあっては、それは立ち所に選択肢として口当たり良く消費されるライフスタイルのメニュー表となってしまうでしょう。本当に世の中の「役に立つもの」を作るのだったら、「素敵」なだけじゃなくて情けなくなっちゃうような〈普通〉もあるということを受け入れた上で、いかに幸福な食というものがあり得るのかが描かれても良かったのではないでしょうか。それはきっとあんまりお洒落じゃないだろうし、えぐみもあるだろうし、消化には良くないのかも知れませんが。



http://eatrip.jp/


↓紹介、映画評

http://japan.techinsight.jp/2009/06/eatripsizurukannhikkenn.html
http://www.eiga-kawaraban.com/09/09090202.html