夏風邪と講評

二連続で、かれこれ一ヶ月近くも、風邪を引いています。二日ほどかけて、ようやく快方に向かってきました。とにかく眠れば良かったみたいですが、何しろ忙しい時期だったので、撤収が終わるまでまず、必要なだけ休むということが出来ませんでした。自分もつらかったけれど、周囲の人に迷惑をかけてしまったと反省しています。ごめんなさい。。。

ギリギリの状態でした仕事は、そしてとりもなおさず言動は、、やっぱりギリギリでしかないのでしょう。あのときは精一杯うまくやったつもりでも、今見れば判断に余裕が無いのは明白です。



そんなわけで講評は過去例のない程不利な状態・状況でした。声はガラガラ、頭はぼーっとしてるし、脚はふらふらする。前期構築してきたものの一割も発揮できなかった感じ。。

あえて私のコンディションを度外視するならば、その原因の一つは、講評という形式の限界だと思っています。私が時間をかけてちくちく作ってきたことの9割というのは、モノそのものではなくて、作品の背景およびその成立条件だったので、そもそも2分ちょいで説明できるわけがなかったのでした。せめてプレゼンテーションやディスカッションのような形式であれば別ですが、モノを前にした説明、というのは、ことに今回の私にとって、不利極まりない状況だったのです。これはあくまで試作品なんですよぉー、って不承不承未練がましく訴えたって、やっぱりブツがあれば気になってしまいますし、それに対してコメントせざるを得なくなる。あくまで話を引き出すための糸口として用意した不完全なモノに、どんどん引きずられていってしまう。
(もちろん、何も悪いコメントばかりだったというわけではありませんよ。期待通りのお言葉、役に立つお言葉、いただきました。そして何より心配されていた気がします。ありがとうございます。)


しかしながら結局、それに気づけなかった私自身が一番悪いというわけですね(もうちょっと言えば、夏風邪なんか引いているから悪い。そもそもの自己管理がなっとらん)。せめてドキュメント展示のような形式にして、内容についてのヒントをいただければよかったのに、などと今になって色々と悔やまれますが、恐らくあの日の私に教授の人数、11回分のプレゼンをする元気なんてからっきしなかったことでしょう。だいたいそんな時間もあるかどうか。


適切な展示形態についてまで考えが及ばなかったのは、ひとえに夏風邪のせい、と考えたい。そしてそれは、生涯に何度かはあるであろう事故が原因だったと思ってます。既に深手を負ってしまったのなら、せめて後遺症を軽く収める必要があるでしょう。それは意志の力で可能かどうか? まずは手当が重要なのでしょう。傷口から破片を取り去ったり、消毒したり。完治には時間がかかるかもしれません。そしてもとには戻らないでしょう。何しろ傷なのですから。でもそれは必ずしも悲しいこととは限らないはずです。こちらも快方に向かっていることでしょう。

なんかネガティブなこと書きまくった気がしますが、何か達成すべき目標があったとして、努力すること以外に出来ることといったら祈ることくらいですね。だからいつもそんな感じで締めくくってしまいます。

いーことありますよーに。