作品と出会うこと

先日の文章とも関連することですが。

自分にとって意味のある作品との出会いは決してその場限りに留まるものではなくて、三日後、一週間後、一ヶ月後、一年後、三年後…と、引き延ばされながらずっと続いたりするものです。あるいは、そのものが眼前に無くとも、何度でも出会うことができる、と言い換えることができるかもしれません。

こうしてパソコンの前に座っている今でも、過去に見た作品との出会いは続いています。そしてそれらは、出会う度に少しずつ異なった表情を見せてくれています。それだけ、それらの作品が示唆に富み、複雑な重層性を持っている、ということでしょうか。(しかし時には、作品の内容とはそれほど関係のない個人的な思い入れによるものもあるでしょう。)

心に残る作品とはこういうもののことを言うのでしょうね。だからある意味では、その作品の価値を一瞬で判断することはできない。その場で「いいね!」って言える作品が無いわけではないのですが、必ずしもそういうものが心にひっかかり続けるとは限りません。作品を前にしたその場では何も言えない、言いようのないものが、あるときふっと解きほぐされて、何度も何度も語りかけてきて、いたく忘れがたい存在になる。そういう存在になるためには、意外とコツがあるのでしょう。強度やら知性やらを形に結ぶ方法。

私の作るものがそうあればいいと思っています。誰かにとって、他ならぬあなたにとって。



修了制作が山場です。でもまだ二合目。

明日はフランス大使館で監視員です。お客さんにとってわからないことが多いのなら、むしろ「わからない」が突き刺さってしまえばいいと思っている。それくらいの気持ちで。