作品と、作家の立ち位置

設置が終わり展示が始まると、いつも気がかりなのは作者である私の立ち位置だ。特に体験型の〈こと〉を指向するような、作「品」=〈もの〉、として自立するわけではない作品形態にとっては、作品空間における作家の存在が観者と作品との内的対話の妨げとなり、作品の狙いである体験、観者と作品との出会いそのものを変質させてしまう気がしていて――言うなれば作者がそこにいるということ自体、ある種の作品にとっては作品の破壊を意味しているというわけで、私としてはできるだけその場にいたくないと思うことも少なくないです。

しかしながら場所は場所、個展ならまだしもグループ展には協調が必要だし、不安定な素材や工法を使っているのも確かなので、なるべく観に行ったり手直ししたり掃除したりしているわけなのですが、知らんぷりをして(ときには作家面をして)お客さんの極めて即時的な反応を目の当たりにする、目の当たりにし続けるというのは、外傷に塩を揉み込まれているような感じで非常に消耗します。

理想は朝方ちゃちゃっと手直しして、すぐにその場から立ち去るということなのですが、なんか諸々の絡みでそうもいかなかったりするんですよね。作家さんのスタンスも人それぞれだと思うのですが、こういうとき、絵画に戻ろうかなあと思ったりします。