北極星

6月も終わってしまった。世間の動きは思いの外ゆっくりで、私は未だ個人生活のインフラが整わないままでいます。こんな調子では折角人に会っても世知辛い卑俗な話題しか提供できません。

一番いけないのは、私が引け目を感じていること。目下生活をとるか制作をとるか、という極めて低俗な問題に曝されていない身分を恨めしく思うこともしばしばで、情けないことですが、ときに自分自身の不安が誰かへの不満となって噴出します。(このまま作家活動を続けていくことはできるのか、制作・発表の機会はあるのか、私の作っているものややっていることには意義なり意味なりがあるのか、私が今こんな状態なのは自分の力不足によるものなのではないだろうか、表現スタイルによって被り続けている不利・それを打開するための策と力が私にあるだろうか…)どうせ迷うのなら、せめて高級な問題に引きつけて積み上げ可能な「考え」としたいものです。

近頃はこういう宙ぶらりんな状態にも少しは馴れてきたようで、まあ美術家の卵なんてこんなもんなのかな、気楽に行こう、とも思えるようになってきました。美術雑誌の若手アーティスト特集を見ていても、学校を出てから5年くらい経っている人が多い気がします。もちろんその限りではないけれど、だいたい5年間はこれくらいの不安定さをキープしているんだろうな、と思うとなんだか頭が下がります。

大学院修了まで運良くストレートで通ってきた私には、とくに、何かどこかでひとつでも選択を誤れば作家としてやっていくことはできない、という強迫観念が根強くあって、それがあらゆる一歩を踏み出させずにいます。しかも大小様々の情報が裏表の意味を伴って、私をふらふらさせるためだけに飛び込んでくるのです。

こんなとき、極めて遠くに目標を定めることの意義を感じます。周囲の動きに惑わされないこと。最も大切なものを見失わないこと。